●3Dプリンタのよくある誤解
先々週のクローズアップ現代で「3Dプリンタ」の話題をやってました。(先週水曜はデジクリがお休みだったので旧聞になってしまってクヤシー!)
僕のTwitterのタイムラインにはフィギュアを作る人を中心に3Dプリンタについて詳しい人たちがいます。ジュエリーやプロダクトデザインの人たち、3Dプリントサービスの人たちも。デジクリに3Dプリンタについて連載している織田隆治さんもそのうちの一人だったり。
で、最近の「Makersと3Dプリンタブーム」にかなりの誤解が含まれてることについて、そんなTLの人たちとやりとりすることも多かったりします。要するに「何でも作れる夢の機械!って話題になったり期待されたりするのはちがうよねえ。」という話。
そんな「3Dプリンタの現実」について、クローズアップ現代に出演した小林茂氏がブログで番組の補足をしていて、これが素晴らしい。3Dプリンタに興味を持った人は必読の完全保存版!
「3Dプリンターについて「クローズアップ現代」の7分42秒では伝えられなかったこと」
●3Dプリントは「作品」になり得るか?
僕も2006年から各種3Dプリンタ利用の作品を作ってきたので、多少わかるつもりなのですが、最近は自前で3Dプリンタを購入する人が続出。くわしいとはとても言えない感じに・・・。一応、安い3Dプリンタを一台買っておいたほうがいいかもと考えてはいるけど、実はそれほど切実にほしいとは思ってなかったり。
というのは、日常的に仕事で何かモノを作る必要でもなければ、3D出力自体、たいして興味なくなっちゃうんですよ。3Dデータが実体化する感動は最初の3個までくらいかなあ。出力できることを確認できちゃうと、作品を作ることに気持ちが戻る。
そこは、デジタルフォト/ペイントやってる人がプリンタに必要以上に執着しないのと同じ。何人も同じようなこと言ってるので3Dプリントに関しても、そういうものなんだろうと思います。3Dプリントする必要があったら、出力サービスを利用すればいいや。最新の機械が使えるし。
あと、僕だけかもしれないけど、3DCGや3Dプリントを知れば知るほどに、「製品じゃなく、作品としてのフィギュアや彫刻」にデジタルを利用する気がなくなっていく。完璧な形状を効率的に作るには3DCGも3Dプリントもめちゃくちゃ有効なんだけど、「3Dプリントだから」ってところに価値は感じない。
「作品」としては、完璧に美しいものより、不器用に手跡が残った生々しい作品のほうがぜんぜんほしいし、自分でも手で作りたい。「作家が手で作った生々しい痕跡」は現代それほど価値があるものじゃなくなってるけど、それでも買うとしたら作家の手で作ったもののほうがうれしいよなあ。
ただし、「現時点での3Dプリントのクオリティの限界を踏まえた上で、それを活かすなり補強する工夫を加えた作品」ってのはぜんぜんアリだと思う。
現時点での3Dプリント、特にZPrinterの出力のザラザラカスカスの品質ってのは、「今だけのもの」。10年もしないうちに超絶高品質になっちゃうだろうから。今それを利用して作る意味は大いにある。まあ、先日からやってたのはそれだけど。
もちろん、純粋に作品としてではなく「作家が作ったプロダクト/商品」となると話はちがってくる。ザラザラカスカスでも出力物をほしがる人がそこそこいるって前提なら、問題になるのはコストだけ。
●レア感の演出?
ZPrinterで色付きフィギュア的ケータイストラップみたいなものを作ったとする。僕は自分の作品だからそのストラップを「ドヤ」的にぶら下げて見せびらかせば、ぜったい楽しい! しかし、他人の3Dプリント作品を見せびらかして楽しいかどうかはわからない。でも、数個しか作られていないモノなら一応の「レア感」はあるから「ドヤ」感は出ないこともない。
3Dプリンターってのは、大量生産と逆なパーソナルなモノ作りなのに、見た目の目指すところは大量生産モノと同じ。よほどのわかりやすい「レア感」がないと物欲を刺激する商品にはならないのかも。そこが悩みどころ。
で、その「レア感」ってのは、3Dプリンタとは相性が悪い。だって何個でも出力できるのがプリンターだもん。そうなると「個数/期間限定」にせざるを得ない。けど、設定した数が売り切れたらもう作らないよって、なんちゅうか、ケチだなあ!!
フィギュアとか立体作品を3Dプリンタで生産するのはそれほど利点ないのかもしれん。実用のプロダクトならそのへんの悩みはないけど。いつでも好きなだけ生産できるってことは、価値を下げますね〜。
・・・以上、作り手以外の人が、3Dプリンター出力物をどう思うのか、価値を感じてもらえるのか見当がつかず、いまだに根本の部分で悩んでることを書き出してみました。
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