ゴースト作曲家騒動、最近考えていたことと重なったりして非常に興味深かった。
●ゴーストライターの是非
自分の名前のもとに秘密裏に外注で作っていた形になるわけか。ファンは裏切られた気がするだろうけど、外注そのものは悪くない。作曲家ってよりはプロデューサに近くなるけど、最終的に自分の名前で発表するのならそれでいいんじゃないかと。
「イメージや構成を伝えて作ってもらった」が、テキストなのか絵なのか最初はわからなかった。譜面スケッチならぜんぜんオーケーだろうし、初期には自作曲の編曲依頼もあったらしい。
マイケル・ジャクソンが(というよりプロデューサーが、だろうけど)、坂本龍一の「ビハインド・ザ・マスク」を「スリラー」に入れようとして、作曲のクレジット譲渡が条件ってことで断られたって話も。ってことは、MJ作の曲のかなりの割合が他人の作曲ってこともあり得るわけで。
音楽でも出版でも映画でも「誰々の作品」が個人の力だけで出来てるわけでなく、最終的に責任を負う(負わされるw)のが、その「誰々」。
あと、イラストやキャラクターの仕事で「自分がやったと言ってはいけない」的な契約のものがあるけど、あれって結局ゴーストと同じ意味にだよね? まあ、作品と同時に名前が出る仕事は出版以外にはあんまり無いけど。
●作者の物語
「売れるには作者の人生の物語が必要」。最近そのへんが気になっていた。地味でこれといった物語のない僕的には何ともしようがない。むしろ地味で淡々を売りにするかw
ベートーベンやモーツアルトはもちろん、ゴッホの炎の人伝説、ピカソの天才伝説をはじめ、圧倒的に人気のある作品ってたいてい作者の物語ありきだもん。その物語が事実かどうか関係なく。事実でも盛ってるよねたぶんw
ブームになったようなものでそういう物語付きじゃないものなんて無いかも。よく有名人の「○○伝説」ってあるけど、嘘でもその人だったら納得できちゃう系のネタ。そういうの込みで価値になっていくんだろうな。
「現代のベートーベン」ってキャッチフレーズは、あまりにベタすぎて恥ずかしいけど、そのくらいでないと大衆に届かないということか。有吉の「ブレイクするとはバカに見つかること」も。僕だって作品の評価の取っかかりとしての「作者の物語」に大きく左右される大衆の一人。
そのへん佐村河内氏は(商売的に)忠実に利用したと言えるわけで。ジレンマがないのがスゴイw そういえば、盛りすぎた末に破滅した仲間に、考古学のゴッドハンドの人もいましたね。
ポップのバンドやミュージシャンってたぶん、ほとんど全部がレコード会社によってモリモリに盛られてるんじゃないかなあ。
先日、おもしろい例があった。ロシアの田舎の子供や犬の写真の記事。写真だけ見てもなかなかいい雰囲気。ところが「ロシアのお母さんが自分の農場で撮った魔法のような写真」という見出しがつくと、圧倒的にパワーアップ。
なので、付加価値としての情報や物語は利用しなきゃもったいない手なのですが、新垣氏は期せずして超強力な物語を手に入れちゃったわけですね。
結局、手がかり無しに作品を見ることなんてできないかも。純粋に作品だけを評価してほしいなんて、現実離れしてるんだろうな。スターウォーズとかだって作品そのものじゃなく、制作に至った背景含めて全部の魅力なわけだし。楽天式の長い商品紹介ページも、単体では魅力を伝えにくい商品に、物語をつけてるわけだ。
いやいや、テレビも音楽も工業製品も食品も、匿名性の高いものがほとんどでしょ?ってのはあるけど、注目されると作り手の物語が浮上してきて、それでさらにターボがかかってブームになるんだと思う。
●すごい指摘2件
・「より正しい物語を得た音楽はより幸せである 〜佐村河内守(新垣隆)騒動について〜/森下 唯」
「佐村河内氏の誇大妄想的なアイディアを新垣氏が形にするという、この特異な状況下でしか生まれ得なかったあれら一連の楽曲とその魅力」だって!!
・「偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ/伊東 乾」
「作曲課題の<実施>」そうなのか!!
つまり、十分な実力と芸術的プライドを持つ人なら普段は手がけないような種類の作品が、発注やコラボによって実現してしまうということ。これって完全に一般の「商業的クリエイター」そのもの! オリジナル作品では絶対に出せない/出さないような発想や品質の作品が、ややこしい条件やリテイクや締切などを含む「発注」によって出来ちゃうんだよね!
絵に置き換えると、古今東西のあらゆる絵の表現法に精通していて何でも描けちゃう実力はあるのに、現代美術の世界で生きてるため自分の作品として絵を描かなくなってる人がいる。でも、匿名仕事で頼まれて誰々風の絵を描いてみたらめちゃくちゃウケて痛快! 持ってる技術をちょこっと発揮してるだけなのにw みたいなもんかな。
もっと言えば、田中圭一氏が手塚タッチや本宮タッチを駆使してギャグやパロディではなく真面目なマンガを描いたら大ヒット! みたいなもんか。
●意志の力
会見でも言ってたけど、佐村河内氏の意志の力ってのは本当に強大なものってところは見習いたいとか思ったw 作曲も楽器もできない空っぽなのに、意志の力だけで自分をあそこまで持って行ったってのは驚異的。
●音楽のイメージ、絵のイメージ
現代のベートーベン佐村河内氏はどうやら耳は聞こえるらしいけど、作曲家って楽器や機材が目の前になく物理的に無音でも作曲できるのはうらやましい(実際に演奏した上での調整は必要だろうけど)。
僕だってそれほど長い曲じゃなければ頭の中でほぼ完成形が鳴るまでこねくり回した上で、最後にそのまま書き出せたりする(譜面書けないのでGarageBandのピアノロール入力)。
一方、絵やキャラクターを作るときは、おぼろげなイメージと色くらいしか浮かばず、実際に描きながら作っていく感じ。頭の中でほぼ完成まで詰めておいて、最終的に紙やパソコンに一気に吐き出す! ってことができたらなあ〜。
絵描きやイラストレーターやデザイナーの人って普通、頭の中でどこらへんまで思い描けるんだろう? 頭の中で完成した絵を描き写すだけって人もいるんだろうか? 僕はアイディアや配色の断片どまり。歩きながらやウトウトしながら形や色をはっきり思い描くってのはまったくダメ。イメージをまとめるのは紙がないとムリだなあ。
たぶん、絵が平面のあちこちに同時に多数の要素が散らばってるのに対して、音楽はいくら音がたくさん並んでいても鳴ってる瞬間は点でしかなく、同時に数個の音を思い浮かべられればいいからだろうな、と想像。
●おまけ
Kindle本『「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か』去年11月号の記事のKindle書籍化。読んでみた。インチキが判明する前にここまでちゃんと見てる人がいるんだ!って一瞬おどろきかけたけど、たぶん周囲や専門家にはあやしいと思ってた人は多いんだろうな。何がすごいかというと、マスコミが偽作曲家を持ち上げる中で、ちゃんと疑問を呈すること。
なのに、アエラは何だよ? 「取材したけどインチキ臭かったのでボツにして掲載しなかった」って記事があったけど、インチキ臭かったことを記事にしなかったのはジャーナリズムの自殺じゃないのかとw
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