●ソウルフル・ワールド(2020年)
(多少のネタバレを含むので未見の人は注意)
ピクサー作品。監督 ピート・ドクター、 ケンプ・パワーズ。声の出演 ジェイミー・フォックス、ティナ・フェイ。とんでもなく濃いCG。キャラクターの何でもない一挙一動の表現にいちいち感動してしまうほど。
煮え切らないまま中年になった、ジャズピアニスト志望の中学の非常勤教師、ジョー。初めてすごいチャンスが舞い込んだ直後に事故で死んでしまう。成仏するのを嫌がって逃げ回った結果、「生まれる前のソウル(魂)たちの世界」に迷い込む。そこで「生きる目的が見つからず、生まれることを何千年も拒否してきた問題児のソウル、22番」と出会い、元の世界へ生き返る方法を探す過程で、自分を見つめ直すことになる。
「インサイド・ヘッド」と同じく、ぼんやり考えてたイメージを(多少図式的だけど)めちゃくちゃ具体的に提示され、自分に当てはめざるを得ない映画。特に、自分の人生の様々なシーンを彫刻みたいに展示され、「クソみたいな人生」と見せつけられるシーンはキツい! (後で回収されるが)。
ピクサーってそういうところスゴイ。今までの作品のテーマも、人生の節目など誰もが「自分の問題」として共感できる普遍的なもの。実写では「自分の問題」としての共感度はこれほどまで強まらないかも。
特定の宗教色が出ないよう配慮されてるのが、かえって強烈に宗教的になってるかも。嫌な感じはしなかった。「ゾーン」と「迷子のソウル」の説明には膝を打った。
トロンボーンの女の子を「好きだったら続けなよ」と応援する一方で、しまいには「人生のきらめき=才能、夢中になれるもの、生きる意味の追求」すら最重要事項から外してしまう! 必死にがんばってきたのにイマイチぱっとしない普通の人々にとって、これ以上ない「救い」かも。
猫w
ところで、「22番」というと、思い浮かぶのは……YMO「Nice Age」の途中のナレーション「22番は今日で一週間たってしまったんですけども、でももうそこにはいなくなって、彼は花のように姿を現します」(ポール・マッカートニーが収監されてたときの部屋番号だそう)。もちろんそれとは関係なく、映画にもなった「キャッチ=22」から生まれた慣用句(どうしようもない・逃れられないジレンマに陥っている状態)から来てるらしい。
●レニ(1993年)
レニ・リーフェンシュタールのドキュメンタリー。ダンサーから映画女優、映画監督へ。ナチ党大会の記録映画「意志の勝利」、ベルリンオリンピックの記録映画「オリンピア」で世界的高評価を得る。戦後、ナチ党のプロパガンダ映画の監督として糾弾され続ける。監督、レイ・ミュラー。ドイツ映画。
「怪物的才能を持った歴史上の人物が自ら語る」という意味で、めちゃくちゃ迫力がある。すごかった。
80年代の雑誌などの、石岡瑛子ディレクションのヌバ族の写真集やスキューバダイビング写真の記事。ナチの件では批判にさらされ続けるも、高齢なのにとんでもなくエネルギッシュな、陽に焼けた怖いおばあさんという印象だった。十数年年後のこのドキュメンタリーでは90歳に見えないほどかわいらしくてびっくりした。
ミュラー監督は、レニにナチ協力者として責任があると考えていてしばしば追求するが、レニは「私には責任はない。ナチ党員でもない。芸術家としてベストを尽くしただけ。あの当時に生きていたら他にどんな選択肢があったのか?」と反発・激昂する場面がいくつもある。
戦後、レニが批判をかわすために作ったウソが混じってるニュアンスは確かにある。「自分の芸術の実現のためには、他は些細なこと」という傲慢さはあるだろう。直接の責任はないとしても、特権的立場を享受してたわけだし。大戦後半は悪化する戦況をよそに、チロルの邸宅にこもって自分の作品の編集をしてたらしい。
激昂といえば、ミュラー監督の撮影上の演出「歩きながら話してください」という指示に、レニはブチ切れて「私はそんなことしない!」って拒否して怒りまくる。なのに、次のカットでは演出通りおとなしく歩きながら話してるのがオカシイw
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