2011/05/30

個人の記録、人類の記憶

十数年前、たしかデジタルイメージのメーリングリストの投稿で開陳したアイディア。当時としては半ばSFのアイディアくらいのつもりだった。

「こんなに一生懸命作ってるデジタル作品なのに、死んだらデータはどうなっちゃうんだろ?」「HDDや光ディスクはせいぜい数年〜数十年しか保存できない」「自分の作品データに限った話じゃなく、人類全部の活動がデジタルにどんどん記録・蓄積されていくのに、そのデータをまとめて保存したり利用する仕組みがないじゃないか!」「個人のデジタルデータは個人が生きた証しや軌跡。個人のデジタルデータを永久に保存する機関があったらいいなあ」ってものです。

ブロードバンド普及途上だったし、データセンター的なものを知らなかった当時のアイディアですが・・・。

「月に一度、データの光ディスクをその機関に宅急便で送る。あるいは引き取りに来る」
「送付が続いている間、料金を払い込む」
「ディスクの送付か支払いが滞ったら亡くなったものと見なし、収集完了」
「大容量の光ディスクにまとめて保存。倉庫で保管」
「契約により、死後50年だか70年だかの著作権保護期間以後、蓄積されたデータは一般に閲覧できたり研究などに利用できる。」
「死後すぐに公開していいなら、料金は安めに設定」
「世界中の複数箇所にコピーを保管する。できれば月面や火星や衛星軌道上などにも置く」
「個人の全記録はお墓に代わるもの。言うなれば、個人ユースのピラミッドや古墳みたいなもの。そのピラミッドを何十億、何百億と集めた、人類全部の記憶・記録、そしてパブリックな知的財宝の山」

・・・というような考えでした。現在なら、ディスクの送付や保管などという手間のかかることはしないですね。もちろんクラウド方式でしょう。では、最初の部分を以下のようにアップデートしてみます。

「基本的にはレンタルサーバーのようなサービス」
「クラウド的に、仕事や生活や活動の中であらゆる個人データの保管に利用する」
「サーバーにアクセスがなくなって一定期間たったら、亡くなったものと見なし、収集完了」
・・・以下は同じです。

で、ふと考えてみると、専用の機関や企業でなくてもインターネット自体がそれかもしれないし、GoogleやEvernoteなどのサービスは特にそうなのかもしれない。僕が現在のブログに引っ越したとき考えたのは、「あらゆる情報の収集・整理を目指すGoogleのサービスであるBloggerなら、ブログのデータは半永久的に保存するつもりに違いない」ってことだったし。

Evernoteなんか「人生の全てを記録する」ってコンセプトだからかなり近いかもしれない。画像その他のファイルだってアップできるし。同様に、完全に定着したサービスといえるYouTubeやFlickr、はたまたfacebookやTwitterなども、個人の記憶・記録を永久に残すものになるかもしれない。特に、閲覧するのにパスワードがいらず誰でも見られるものは、アップされた時点から人類の記録として機能してるわけで。

できれば、そういったサービスにはぜひつけてほしい設定がある。「一定期間アクセスがなかったら、プライベートに設定してある全アーカイブをパブリックに公開」機能。それだけ実現するなら、ややこしい機関がなくてもいいや。

残すデータファイルの形式や互換性の問題もあるけど、単にテキストや画像や音声やムービーなどの閲覧用最終データなら何千年後だって大丈夫なはず。そのデータを作るのに使ったアプリケーションのネイティブ形式のファイルは無理だろうけど、それは重要な問題ではないと思う。

個人の記録や記憶が人類全体の巨大な記憶に融合していくのって、手塚治虫の「火の鳥」に出てきた「コスモゾーン」みたいで、ロマンチックだなあ。

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